2009年5月6日
脳死を生きる子供
〜法改正の議論の中で〜
4月15日、アメリカで心臓移植を受けるために、1歳の男の子が日本を出発した。
15歳未満の脳死ドナーを日本では認めていないため、海外に渡って心臓などの臓器移植を受ける幼い子供たちが後を絶たない。
他国への長時間にわたる移動には高いリスクが伴い、移植費用は募金活動なしでは用意できないほど高額である。 最近では、自国で15歳未満の脳死ドナーを禁止していながら海外での移植を容認している日本の姿勢に対して、 批判の声が上がり、一部で受け入れを拒否する国もでている。 こうした事態を受けて、国会には臓器移植法の改正案が3つ提出された。
(※3案のうち1案は、より移植の条件を厳しくする法案)  
ただし、「脳死は人の死」なのか、という本質的な問題に関して、世論の合意は形成されているとは言い難い。 さらに、わが子が脳死となった時、“まだ心臓が動いている状態で臓器提供の意思を問われる"という厳しい現実を、 どれだけ理解されているのか疑問である。
法改正の議論において、関心の中心が“臓器移植を必要としている子供"に集まるなかで、 私たちは“臓器の提供者となるかもしれない子供"の実状を伝えるべきだと考え、一人の少年と家族を取材した。
8年前に脳死と診断された、みづほ君(※取材当時9歳)。 人工呼吸器を気管に装着して、24時間体制のケアを受けながら自宅で生活している。 「みづくん!みづくん!」と呼びかける、母・まり代さんの声に対して、みづほ君は微かに手を動かした。 ただし、普段は深い眠りについたかのように、身体の動きはほとんどない。
みづほ君は1999年に生まれ、特に問題もなく元気に育っていたが、1歳2ヶ月の時に突然、原因不明の高熱と痙攣を起こし、 救急車で大学病院に搬送された。診断名は、乳幼児に多い「急性脳症」。 脳波はフラットになり、画像診断を行った医師は、「脳機能の復活は不可能です」と母親に脳死を告げた。
「その時は泣きわめいてしまいました。信じられない、っていうのと、何で急に?何で?何で?っていう…。 なんか治療はないんですか!みたいに担当医に詰め寄りました」
(母・まり代さん)
7歳になってから、みづほ君は脳内部の血流を測定する『スペクト検査』を受けた。 その結果、彼の脳の画像は、全く血液が循環していないことを示す黒い影で覆われていた。 つまり、脳死であることが再確認されたのである。
日本臓器移植ネットワークは、脳死になると、「多くは数日以内に心臓も停止する」と、現在もホームページに記している。
しかし、大阪医科大の小児科グループが分析した、15歳未満の臨床的脳死121症例のうち、 みづほ君のように30日以上の生存が確認されている子供は、44人(36%)いるという。
「11本の歯が生え変わったんですよ、乳歯から。本当に嬉しかったですね」
今でも、母・まり代さんは、みづほ君の伸びた爪や髪を切っている。 1歳当時、71センチだった身長は約1メートル11センチに伸びて、体重は9キロから約2倍に増えた。 脳死と診断されて8年間、みづほ君は成長を続けている。
みづほ君の場合、食事を自ら口を動かして飲み込むことはできない。 そのため、チューブで胃に流し込んで摂取している。 そして、排泄の時、みづほ君は足を震わせる。この動きを見て、母・まり代さんは笑顔になった。
「この動きが、私から見ればコミュニケーション。(自分の気持ちを)教えてくれてる、ってことなんです」
『子供の場合、脳死判定を行うこと自体が難しい』ことが、日本で15歳未満の脳死ドナーを認めなかった一因となった。 厚生労働省は、6歳以下の脳死判定基準を示しているが、田中英高准教授(大阪医科大・小児科)は疑問を呈する。
「121例の臨床的脳死の子供の報告があるんですけど、3例は自発呼吸が弱いながら、 脳波が戻ったり、脳の血流が戻ったりしてる。脳死判定基準が100パーセント確実なのかっていうと、科学的にはかなり疑問があります」
これに対し、脳死判定に関わってきた、横田裕行教授(日本医科大副院長・救急医学)は、異なる見解を示す。
「血圧、呼吸の変化に十分に注意しながら、子供に変化がある場合には中止する、という姿勢で行うことを前提にすれば、脳死の判定はできます。 海外の判定基準と照らし合わせても、(日本の小児脳死判定は)妥当な基準だと思っています」
『脳死と診断された患者が、以前の生活をできるまでに回復したケースは報告されていない。その現実を受け入れながら、母・まり代さんは、「脳死を一律に人の死」とする、法改正の動きに危機感を抱いている。
「(脳死とは)頭だけやられちゃうわけですよね。でも、そこにいるのは生身で心臓が動いている子供なわけです。 頑張っている子供のお腹切って臓器取り出すなんてことは、親として出来ないですよ。 子供がかわいそう、いやって言えないんだもん、何されても…。」
人工呼吸器によって命をつなぎ、家族と暮らす、みづほ君。 「脳死を一律に人の死」とするならば、彼の存在は何であるのか? いま、政治が答えを出そうとしている。
2009年11月、みずほ君は肺炎のために亡くなりました。
謹んで、ご冥福をお祈りします。
(ニュースJAPAN/調査報道班)
2007年7月25日
救命救急の現場から vol.3
〜救命救急医と臓器提供〜
夜明けまえ、ドクターカーに出動要請がかかった。 市立札幌病院・救命救急センターから現場へ向かったのは、当直勤務中の救命救急医・鹿野恒。 患者は後頭部を強く打ち、意識不明の状態だという。特に早い処置が必要なケースだ。 精密検査の結果、鹿野医師は緊急に手術が必要と判断。脳外科チームの協力を得て、手術に臨む。 ダメージを受けた部分の頭蓋骨を開けると、脳が一気に大きく膨れ上がる。頭を強く打った時の、典型的な症状だ。 血腫を除去して、手術は成功。患者は2ヵ月後、自分の足で歩いて退院していった。
しかし、どのように手を尽くしても、助けられない患者もまた存在する…。 取材中に、一人の患者が脳死状態となった。 鹿野医師たちは、脳波測定など10項目以上に渡る検査を行い、『臨床的脳死』、と診断した。
「身体も暖かいし、ご自身の力で心臓も動いています。 決して死を受け入れて下さい、ということではなくて、死を避けられない状況であることを説明し、 ご家族として残された時間を過ごして下さい、という位置づけで診断している」
(鹿野医師)
最新の技術で多くの患者の命を助け、全国トップの生存率をあげてきた、鹿野医師。 そんな彼にとって『脳死』状態は、経験上から蘇生治療を断念するしかない、絶対的な段階だと語る。  
 
患者が脳死となったら、救命救急医は、そこで役割を終えるだけなのか…。 悩んだ末に鹿野医師は、三年前から脳死患者の家族に、臓器提供の意向を確認することを始めた。 これまで救急医療では、タブー視されてきた行動である。
 
「僕は二つのことを聞かせていただきます。ひとつは延命治療をどこまでしていくか。 もうひとつは臓器提供が選択肢としてあるけど、そのことについてお伺いしたいと」  
 
数年前、母親が脳死となった男性は、鹿野医師から臓器提供の意向を確認された。
「奇跡みたいに目を開けることはないんだろうか、という心の葛藤はありましたけれど。 親の死を無駄にしたくない気持ちがあったので決断しました」(50代男性)
兄弟と話し合った結果、男性は母親の角膜と腎臓、皮膚の一部を提供することに決めた。
この3年間、鹿野医師は17の家族に臓器提供の意向を確認。 その結果、7割にあたる12の家族が提供を決断した。 これを学会で発表したところ、全国の救命救急医たちの反応は賛否両論だった。
「患者さんとの信頼関係がしっかりできていないと、提供率7割はでてこない。 臓器提供の提示(意思確認)は、主治医の義務ではないか」(土肥謙二・昭和大医学部講師)
「主治医による臓器提供の意思確認は、患者家族に対して負担になる。 主治医は直接説明せずに移植コーディネーターの話を聞いてくださる意思はありますか、 というふうな形の申し入れを家族にするべき」(奥地一夫・奈良医大教授)  
 
救命救急医が、どこまで臓器提供に関わるべきなのか、答えは、まだ出ていない。 生と死の先にあるものを見つめながら、鹿野医師は今日も現場に立つ。
 
「これまでは患者が亡くなった時に、家族や本人の想いが、実は残っていたことに、気づかなかっただけではないか。 臓器提供について、きちんとお話して尊重するのが、救急を最期まで全うする大事なことだと思う」(鹿野医師)
救命救急医が受け持つのは、患者の命だけなのか?それとも…。
一人の医師が、問いかけている。
2007年7月24日
救命救急の現場から vol.2
〜変わる死の概念〜
いま、救命救急の世界で最も注目されている、鹿野恒医師(40)。 彼が所属する、市立札幌病院・救命救急センターは、心停止患者の生存率が「22.2%」、全国平均「 7.1%」に対して命が助かる確率が三倍も高い。 これを可能にしたのは、救命救急センターのチームワーク、そしてPCPS(=人工心肺装置)脳低温療法である。
「一般的に、心臓も呼吸も停止している患者さんは、通常は亡くなると考えられていますけど、全くそうではありません」
(鹿野恒医師)
人工呼吸器は、患者の心臓が動いていることが最低条件。 これに対し、PCPS(=人工心肺)は、心臓と肺の機能を持っているために、完全に心肺停止した患者の命を維持できる。 PCPSの装置は同時に脳低温療法を実施できるという。  
 
取材中、搬送されてきた男性は約2時間半も心臓が停止した状態だった。 鹿野医師たちは、PCPSと同時に電気ショック(除細動器)を実施。変化しない心電図…。 だが、しばらくするとグラフが振れだした。 心臓が再び鼓動を始めたのである。  
 
かつて生存率は決して高くはなかった、市立札幌病院。 鹿野医師が中心となり、救急隊との連携を深めるなど工夫を重ねて、PCPSの実施時間を短縮。 その結果、全国トップの生存率を実現した。 そんな鹿野医師について、同僚医師はこう証言する。
「普通の救急医が考えている治療を、一歩超えて頑張る人。そのなかで助けた症例がある。僕は彼に奇跡ですねと言ったら、 『それは助からないと思っていただけだよ』と」
(山崎圭・市立札幌病院・救命救急医 )
取材中に、自宅で心停止して運ばれてきた64歳の男性。脳低温療法によって5日後には完全に意識が回復し、後遺症もなかった。
「心の準備はしていたんです。顔もむくんでね、助からないなって」(男性・妻) 「びっくりしたよ、なんでここにいるんだろうって。奇跡ですね」(本人・談)
ニュースジャパンの独自調査では、PCPSを使用している救命救急センター(201施設対象)は、全国で128施設。 そのうち、PCPSは効果的であると答えたのは、58施設でしかない。 これについて鹿野医師は問題を指摘する。  
 
「効果が出ない医療機関は、心肺停止患者にPCPSを実施するまでの時間がかかり過ぎていると考えられます。 脳にいち早く血液を送り込むことが必要ですから。 心臓が動かないことが死だとは思わない、そこで諦めちゃいけないと思っています」
2007年7月23日
救命救急の現場から vol.1
〜生死を分ける脳低温療法〜
蘇生の限界点は心肺停止から15分以内。 そんな救命救急の常識が、いま変わろうとしている。 鍵を握るのは、脳低温療法。
午前9時すぎ、東京・駿河台日大病院に搬送依頼が入った。患者は通勤途中に倒れた50代のサラリーマン。 医師の呼びかけに、全く反応しない。危険な徴候である。
現場に到着した救急救命士によって心拍は再開していたが、25分間にわたって心肺は停止していた。 従来なら死亡か、蘇生しても重い後遺症が残るケースだ。 駿河台日大病院・救命救急センター長の長尾建准教授は、切り札である脳低温療法を指示した。  
ダメージを受けやすい脳を冷やすことで、脳の細胞の代謝を抑制、重い後遺症や脳死状態を回避する脳低温療法。 導入初期は主に交通事故などの頭部外傷の治療法だったが、現在では停止患者への適用が主流になっている。 50代のサラリーマンは、まず最初の2日間を体温34℃の状態をキープ、その後、3日間かけて平温の36℃に戻す方針が決まった。
脳低温療法で、世界をリードしている日大医学部。 『KTEK-Ⅲ(ケイ・テック・スリー)』と名付けた、脳血流を冷却するシステムを独自開発した。 これは患者の血液を人工透析の機械で循環させながら、通常の体温より2℃から4℃下げた血液を脳に送りこむ。 これによって血液温度を短時間で正確に下げることが可能になった。
現在、心臓が原因で突然死する日本人は、年間およそ5万3千人。 15分以内に心拍が再開しないと、重い後遺症や脳死となる、とされていたが脳低温療法によって、 定説は大きく変わろうとしている。
搬送された50代のサラリーマンについて脳低温療法を実施しない場合はどうなるか? という問いに対し、長尾建准教授はこう答えた。
「最悪の場合は亡くなるでしょう。 次の段階は植物状態になることが予想されます。」
25分間も心拍停止状態だったサラリーマン(50代)。 脳低温療法の開始から6日目、脳波測定の結果は異常なし。 人工呼吸器も 外され、意識も回復。 その後、リハビリを経て、彼は社会復帰を 果たした。 ただし、脳低温療法を行っていた間の記憶は全くない、という。
ニュースジャパンが、全国201の救命救急センターを対象にアンケートを行ったところ、 脳低温療法を実施しているのは、116施設、全体のおよそ6割程度にとどまっている…。
(2007年7月現在)
2006年11月23日
脳死移植シリーズ vol.3
〜腎臓をめぐる物語〜
目の前に迫ってきた死を避ける、唯一の方法、
それは誰かの臓器を貰うこと、、
こう告げられた時、自分ならどうするだろう?、
(ナレーション・浅野忠信)
熊本の人材派遣会社でコンサルタントを担当している稲葉洋一さん(39)は、小学生のときに原因不明の 「慢性腎炎」と診断された。腎臓が機能しないと血液中の老廃物を除去することができないため、週3回の 人工透析を受けなければならない。一度の透析にかかる時間は約4時間。  
こうした時間の負担とともに透析患者を苦しめるのが、喉の渇きや疲れなどの副作用である。 稲葉さんの場合、「レストレス・レッグス・シンドローム」という症状に悩まされた。
「足の骨の髄から痒いような感じなんです。この状態で座っていると痒くて仕方がない。 でも掻いても当然ながら骨の髄まで届かないですから」
苦痛を取り除くために精神安定剤が手放せなくなった稲葉さん。精神的、体力的な限界から 腎臓移植を検討したが、家族にドナーの適合者は見つからなかった。それでも諦めきれず、 1997年にフィリピンでの腎臓移植に踏み切った。
フィリピンには、腎臓移植を目的に世界各国から人々が 集まる。金を出せば、腎臓を簡単に手に入れることが 可能だからだ。相場は、日本円にして20万円から30万円。 つまり、それが臓器一個の値段なのだ。
日本の臓器移植法は、臓器の売買を禁じている。 一方フィリピンでは、レシピエント(移植患者)が ドナー(臓器提供者)へ感謝の気持ち(謝礼)を表すことは 当然だとされている。ドナーの多くは貧困にあえぐ 低所得者たちだ。
首都マニラ・バセコ地区は、地方から出てきた失業者が不法に住み着いたスラム街。 男たちの脇腹には、腎臓を摘出した傷跡が生々しく残っている。
10年前、日本人に腎臓を売ったというアルネル・アドラさん(27)。謝礼金は10万ペソ (=約20万円)だった。なぜ腎臓を売ったのか。その問いに対して彼の答えは一つだ。 「生活のためさ。金がなかったし、仕事もなかった。本当に貧乏だったからね」
フィリピンでの腎臓移植を受け、人工透析の苦痛から解放された稲葉さん。 「移植した直後にはこんな形になれるんだ!と思いましたけど、健康は空気みたいな ものですから、日本に帰ってきてからは、あまりそういった感じはなくなりました」
しかし、拒絶反応を抑えるため大量の免疫抑制剤を服用する彼の身体は、感染症に かかりやすく入退院を繰り返していた。そして移植から5年後、突然腎臓が機能しなくなり、 ふたたび透析生活に逆戻りとなった。妻の由紀さんが「生きているのが不思議」と振り返るほど 腎臓の状態は悪化。命の危機に陥った稲葉さんは、2003年に再びフィリピンで腎臓移植を受けた。
2度目の移植にかかった総費用は、日本円にして約670万円。ドナーへの謝礼は相場よりも 高い約80万円を払ったという。
「(ドナーは)上手にお金を運用して、店をつくるなり、サイドカーでタクシー業をするなり、 そういった一家を支えられるような資産になればいいと思います」 稲葉さんは自分なりの考えをこう話した。
腎臓を売ることで、はたして生活はどう変化するのだろうか。
8年前、中国人のビジネスマンに5万ペソ(=約10万)で腎臓を売ったガウディソ・ロンダンさん(44)。 スクールバスの運転手だが、12人の子供を抱え日々の生活は苦しい。獲った小魚を売りながら、 なんとか暮らしを支えている。腎臓を売った金で家とテレビを手に入れたが、去年の火事で失ってしまった。
現在は雨風を凌ぐだけの掘立小屋での生活だ。
ロンダンさんの長男マイクくん(19)は、父親と同じく 腎臓を売るつもりでいるという。「家族を助けたいからさ。別に怖くないよ」
今日を生きるために、腎臓を売らなければならない現実がこの国にはある。 日本では、約25万人いる透析患者のうち、1万人以上が腎臓移植を望んでいる。 フィリピンで2度の腎臓移植を経験した稲葉さんはこう話す。
「私が臓器を受け入れる側、提供する家族側、医療機関照らし合わせてみて、両方ハッピーだったら、 私はそれでいいんじゃないかなと思うんです」
「実際病気で苦しんでいる人の気持ちというのは、いろんな人にはなかなか分かって もらえないですから。患者の人を非難したりとか、それで移植制度について、なんだかんだ 言ってもらいたくないなというのは、正直本音としてあります」
一方で、気になる研究結果も報告されている。 東京医大・松野直徒 助教授は、フィリピンや中国などで腎臓移植を受けた患者たちを調査。 15人中6人が脳梗塞や悪性リンパ腫、C型肝炎の感染など合併症を起こし死亡しているという 実態を明らかにした。
「自分の望むタイミングで臓器が手に入ると言っても、実際はそれだけでは移植手術は 成功ではありません。海外渡航移植はドナーに関する情報がなく、ハイリスクです」 また松野助教授は、残された一つの腎臓でドナーが健康に暮らしていけるのか医学的には 解明されていない、と指摘している。
バセコ地区の実情に詳しい高野郁夫氏(東京外語大客員講師)は、貧困層の臓器売買について こう指摘する。
「実際には手にしたお金を将来の投資にすることはなく、電化製品などの商品を買うことが ほとんどです。腎臓を売ることは貧困から抜け出す抜本的な手段とは言えません」
2006年10月27日
脳死移植シリーズ vol.2
〜いつか最期の時に〜
愛する家族に突然おとずれた最期の時
限られた時間のなかで、
僕たちの選択に後悔はないだろうか、
(ナレーション・浅野忠信)
『脳死』とは、脳幹を含む脳全体の機能が失われて二度と回復しない状態、と定義されている。 脳死での臓器移植を実施する場合は、5項目について『脳死判定』(間隔をあけて2度実施)することを臓器移植法が定めている。
   
国内24件目の脳死判定を実施した、船橋市立医療センター。脳死判定委員長の唐澤秀治・副院長は、 若手医師の研修で繰り返して強調する。
「私たちの使命は、救命救急が大前提です。脳死判定は、まだ脳死じゃないかもしれない、 脳波がでてくるかもしれない、反応がでてくるかもしれない、という意識で行うことが大事です。」
『脳死』と判定された患者は、絶対に痛みを感じないのか? 脳死移植の問題で必ず出てくる疑問に、唐澤医師は慎重に言葉を選んで答えた。
脳死患者が痛みを感じているか、今の医学では分からないと思います。 ただし、脊髄の機能が残っていれば刺激に対して、血圧は変動します。 脈も速くなり汗もかき、鳥肌も立ちます」
『脳死状態は人として死んでいるのかどうか』、長年議論されてきたテーマである。 脳死状態になると自力での呼吸はできないが、人工呼吸器などによって、心臓や肺などの機能は、 数日から数年の間、維持することが可能だ。(脳死状態の小児が10年以上生存したケースも 報告されている)また、『脳死』状態の患者には、血圧の変動や、髪と爪が伸びたり、 汗や涙を流したりなどの生理現象が起こる。さらに、一般には知られていないのが、 『ラザロ徴候』(注)と呼ばれる動きだ。
唐澤秀治・医師は、これまで4人の脳死患者でラザロ徴候を確認したという。
「私が体験した例では、もう少し高く手を上に上げていました。 現在の医学の通説では、脊髄反射、または脊髄自動反射と呼ばれている動きです」
そして、唐澤医師はインタビューにこう付け加えた。 「私が厳密に検査した脳死患者さんで、回復した方はいらっしゃいません」 ラザロ徴候に代表される『脊髄反射』は、脳死患者の7割から8割に出現するという。
脳死移植の現場に赴き、ドナー管理を指導、脳死移植の普及推進を進めている、大阪大学の 福嶌教偉・医師(心臓移植)も多くのラザロ徴候を確認したと証言する。
「ラザロ徴候は、あるものですから当然。それが脳死である、ということです。(上半身の動きは) 脳から出てきている信号ではないんです。例えばカマキリの首を落としても手は動きますよね、 それと同じです。それを頭(脳)の信号が手にいっていると解釈されるかどうかです。誰もしないでしょう」
死を看取る家族にとって、医学的な基準では割りきることができない現実でもある。 山口真理さんは、1997年9月、交通事故に遭い、脳死と診断された。
病院側から臓器提供を提案された家族は、片方の腎臓を提供することを決断。 事故から一週間後、臓器摘出のために真理さんの人工呼吸器を外すことになった。 立ち会っていた父・山口省一さんは、一生忘れられない光景を目撃する。
「脳死状態は、間違いなく生きてますね、体は。 苦しむんですよ、体が。人工呼吸器が外されて心臓が停止する時に、 胸が、ぐーっとせりあがりましてね。そのときの辛さといったらもう・・・。 今思い出してもなんとも言えないですね。本当になんとも言えず辛いですね。 生きてる体が、いま死んでいく…。」
山口真理さんは生前、臓器提供について考えを示していなかったが、心臓停止後に 腎臓を提供することは、家族の同意だけで可能だった。娘が臓器提供を望んでいたかどうか、 父・山口省一さんは自分の決断に、9年たった今も苦しみ続けている。 (※この当時、臓器移植法は施行前)
「親のエゴで生かしたみたいなもんですから…。 このまま灰にするのはなんともしのびないと。臓器の一部でも人様の身体を借りてでも、 生きられるのであれば、生かせると、その時に思ったのです。ですから、人助けとか、 そんな気持ちは全く無かった」
腎臓を提供した相手の近況については、一年に一回だけ、臓器移植ネットワークから 知らされる。山口省一さんには、直接会いたいという思いもある。自分の決断が 正しかったのかどうか、そして娘の存在を確認することができる唯一の方法だからだ。 しかし、今の制度ではドナーとレシピエントは匿名が原則となっているために、山口さんの願いを 叶えることはできない。
現行の臓器移植法では、生前に本人が臓器提供の意思を書面に 残していることが前提となっている。これを『家族同意だけで臓器提供が可能』と変更する法案が、 2006年になって国会に提出された。目的は、慢性的な臓器不足の解消、とされている。
この動きについて、山口さんは複雑な思いで見守っている。
「この臓器は提供していいよと、ドナー本人の意思があれば、後は両親がこの臓器だけ、ということを 決めることができると思う。今の風潮では、臓器提供しなければ何か悪い事をしているような感じで、 テレビで放送されたり、コマーシャルされている。けれど、ばかばかしいと思う。提供したくない人は それでいいじゃないですか」
注:『ラザロ徴候』
脳死状態の患者が、人口呼吸器を外された後に、両手を掲げるように上げたり、 胸に手を当てるように肘を曲げる動き。背中が反る場合もあるが、 動くのは上半身のみ。その様子は祈りを捧げているようにも見えるという。 イエスの呼びかけで葬られた洞窟から復活したという、ラザロにちなんで 名づけられた。(新約聖書による)ただし、ラザロ徴候の患者が蘇生したという報告は 確認されていない。
2006年10月16日
脳死移植シリーズ vol.1
〜我が子の命〜
東京都内の保育園に通う、上田さくらちゃん(4)は今年4月、肺炎に感染。翌月に精密検査を 受けた結果、『特発性拘束型心筋症』と診断されました。これは心臓の筋肉が次第に硬化していき、 心不全などを引き起こすほか、さらには脳梗塞、肝硬変などの重篤な合併症を招く病気です。 診断から一年後の生存率は5割以下、有効な治療方法は心臓移植しかない、とされています。 さくらちゃんの両親と知人たちは、アメリカでの渡航移植を目指して募金活動をスタート。 記者会見を開いて苦しい胸の内を語り、協力を訴えました。
   
母・上田和子さん(9月21日の記者会見より)
「その道(心臓移植)しかないといわれた時に、足元が崩れおちていくような、思いが あったんですが、もうそれしかないとなれば、さくらがこれだけ一生懸命頑張って いますので、私たちもメソメソしてはいけないなと」
日本の臓器移植法は、脳死ドナーの最低年齢を15歳と定めています。乳幼児にとっては、 思いが15歳の心臓ではサイズが大き過ぎるため、海外での心臓移植が唯一の生き残る方法です。 日本移植学会に調査によると、去年一年間のうち、海外で心臓移植を受けた人は15人と 過去最高を記録しました。
アメリカ・ロマリンダ大学病院は、日本から多数の心臓移植患者を受け入れている移植施設です。 心臓移植の手術室に入った取材カメラの前に、脳死となった2歳の子供の心臓が届けられました。 医師の手のひらよりも小さな心臓。それは、数時間前に暖かな体の中から取り出され、 別の子供の体に埋め込まれます。誰かの死によって成り立つ、脳死移植の現実です
5年前、アメリカ・ロサンゼルス小児病院で心臓移植を受けた、羽山友菜ちゃん(7)。 今では、思いっきり走ることもできるようになりましたが、外出時には感染症を防ぐためのマスクを 欠かせず、免疫抑制剤を生涯にわたって服用するなど、日常生活で気を抜くことはできません。
友菜ちゃんは、生後2ヶ月で『拡張型心筋症』と判明し、1歳半過ぎには病状が進行して 危険な状態に陥り、担当医から心臓移植を進められました。アメリカでの移植費用・約8千万円を 募金で集めるのに数ヶ月。さらに現地まで長時間にわたる移動は友菜ちゃんにとって命がけの 旅路でした。こうした苦労を乗り越えてきた母・直子さんは臓器移植法の改正を切に訴えます。
母・羽山直子さん
「これからやっぱり、まず臓器移植法が改正されて、日本国内で小さいお子さんが 心臓移植も出来ることがまず第一だと思います」
現在、国会には臓器移植法の改正案が与党から2つ、提出されています。 河野太郎議員(自民)らによるA案は、「ドナーの年齢制限を撤廃、本人意思不明の時は 家族同意で臓器提供を可能とする」として、欧米と同様に乳幼児の脳死ドナーを認める内容。 いっぽう、斉藤鉄夫議員(公明)らのB案は、臓器提供は本人意思を前提として中学生までは 意思決定可能と想定、「ドナー年齢を12歳までに引き下げる」、としています。
このように国会で臓器移植法を変える流れが形成される中、我々は自分の子が脳死に なった場合にドナーになることを現実的に考えられるか?あの上田さくらちゃんの渡航移植に、 募金した直後の親子連れに聞いてみました。
「それは考えた事なかったです、逆の立場は」
「自分だったらドナーになるのは構わないと思うが子供となると、ね。
いざその時になってやっぱりできませんと」
「あんまり考えたこと、なかったですね。
その場になると自分の子供の体を 傷つけたくない、という感情も生まれてくると思う」
我が子がドナーになる可能性について、当事者としての認識がないままに進む臓器移植法の 改正論議に、生命倫理学者は警鐘を鳴らします。
小松美彦教授(東京海洋大・生命倫理学)
「臓器移植によってこんなに元気になると。特にお子さんの場合に、お茶の間で非常に感動が起こる。 けれども、我々が忘れてしまっていることがある。それは、確実に脳死状態から臓器を摘出されて 提供した家族がいた、ということをリアルに考えるべき」
現在の臓器移植法で、ドナーが15歳以上となった理由のひとつは、 子供の脳死判定が困難であることが挙げられます。
この点は医学的な見解が対立したまま、今も明確な結論は出ていません。
2005年12月13日
子供を救えない
わずか8ヶ月の我が子に告げられた余命宣告。
家族が直面した臓器移植の現実とは?
『全腸管壁内神経細胞未熟症』という難病を抱え生まれた神達彩花ちゃん。 小腸や大腸が機能しないため、人口肛門をつけるなどの治療を続けていたが、合併症 による肝硬変を併発。9月24日、医師から余命数ヶ月と宣告された。
小腸や大腸などの臓器移植という選択肢もあったが、日本では、脳死ドナーの年齢制限※があるため、 現実的に移植は行えないと両親は聞かされた。
「手に負えないと言われても、親としては絶対に諦められない」
そんなとき両親は、同様の難病を抱えた子供がアメリカに渡り、6臓器を同時移植して 助かったことを知る。手術を行ったマイアミ・ジャクソン記念病院の加藤友朗医師に 相談したところ、移植費用は1億3千万円以上だと分かった。
父親の良司さんはJリーグ・鹿島アントラーズの中心的サポーターだったことから、 仲間が「救う会」を結成。HPを立ち上げ、募金を呼びかけた。さらにJリーグの試合会場では、 選手たちがオークションを開くなどしてバックアップ。「救う会」の呼びかけは全国へと広まった。 その結果、2週間目には手術費用の1億円を突破。12月8日、母親の宏美さんの腕に抱かれ、 彩花ちゃんはアメリカへ向け出発した。
渡米から8日目――ドナーが現れたという知らせが入り、 翌日の午後12時、加藤医師の執刀により手術が開始された。 開始から9時間50分、奇跡ともいえる5臓器移植手術は無事成功。 余命宣告から3ヶ月、彩花ちゃんを想う両親の願いが、遠いアメリカ の地で現実のものとなった。
しかし、同時に忘れてならないのは、今回行われた移植の背景に、 アメリカの幼い子供が命を失い、親がドナーになることを同意した という重い事実である。術後の会見で母親の宏美さんは 「私がそちらの親御さんの気持ちだとしたら、本当に辛い。 その子が彩花のなかで生きることを望んで下さったかも しれませんが、感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。
【脳死ドナーの年齢制限】
日本の臓器移植法(2005年3月現在)では、15歳未満のドナーを認めていない。 その理由は、本人意思の尊重を最優先としたこと(民法では15歳以上に遺言を認めている)、 乳幼児の脳死判定は極めて困難であること、などが挙げられている。
ただし、乳幼児に15歳以上のドナーの臓器を移植することは、現実的に無理だ。臓器の サイズが大きすぎるからである。そのため、彩花ちゃんのように多額の募金を集めて、 海外での移植を受ける乳幼児が後を絶たない。ドナーの年齢制限がないアメリカでは、 2004年だけで、537人の子供(10歳以下)がドナーとなっている。