プロフィール

◆ 越路吹雪 … 天海祐希
天海祐希
1924年(大正13年)東京生まれ。本名・内藤美保子。
1937年(S12年)、13歳で宝塚歌劇団に入団。戦後の男役のトップスターとして活躍。宝塚に在籍のまま「東京の門」など数百本近くの映画に出演、1951年(S26年)には第1回帝劇コミック・オペラ「モルガンお雪」に主演し、国産ミュージカル女優第1号になる。同年、宝塚退団、東宝株式会社初の専属女優契約をする。日本に「メドレー」を取り入れたのは越路だった。
1959年、年下の音楽家・内藤法美と結婚。紅白歌合戦には、1952年(昭和27年)、英語で歌いヒットさせた「ビギン・ザ・ビギン」から、1969年(昭和44年)の「愛の讃歌」まで15回出場。翌年からは“紅白はもう卒業“と言って出演を辞退。紅白を辞退した歌手第1号だった。
1964年(昭和39年)フジテレビ系『ミュージックフェア』では初代司会者としても活躍。
1980年(昭和55年)11月7日、胃癌により死去。享年56歳。

<代表曲>
「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サントワマミー」「ろくでなし」「夢の中に君がいる」「人生は過ぎゆく」(全て岩谷時子訳詞)ほか多数

◆ 岩谷時子 … 松下由樹
松下由樹
旧京城市生まれ。作詞、訳詞家兼、越路吹雪のマネージャー。
神戸女学院英文科卒。1939年(昭和14年)、宝塚編集部を経て、1951年(昭和26年)から12年間、東宝文芸部へ。宝塚、東宝の在籍中に会社員でありながらも越路のマネージャーとして兼任の命を受ける。急遽、『愛の讃歌』の訳詞をすることになり、それがきっかけで本場パリからシャンソンを日本に持ち込み、岩谷が日本語の歌詞を付け、越路が歌うというパターンが定着した。
1963年(昭和38年)退社。越路が亡くなるまで約40年間最も長く側にいた。マネージャーは30年間務めた。しかし、マネージャーとしてのギャラは一銭ももらってはいなかった。

<作詞代表曲>
ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、加山雄三『君といつまでも』『お嫁においで』、島倉千代子『ほんきかしら』、フランク永井『おまえに』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、郷ひろみ『男の子女の子』、TV主題歌『サインはV』他多数。ミュージカルの訳詞には、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『王様と私』他多数。93年勲四等瑞宝章受勲、芸術祭文部大臣奨励賞、日本レコード大賞作詞賞、日本作詞大賞優秀賞など数々の賞を受賞。

◆ 内藤法美 … 小澤征悦
小澤征悦
1929年(昭和4年)東京生まれ。越路吹雪の夫。作曲、編曲家。
1946年(昭和21年)、旧麻布中学、旧一高から東大医学部進学をやめて音楽家となり、1951年(昭和26年)東京キューバンボーイズにピアニスト兼編曲家として入団。
1958年(昭和33年)作曲、編曲家として独立した。
1959年(昭和34年)越路吹雪と結婚。おしどり夫婦として知られ、越路が亡くなるまでのリサイタルやディナーショーの音楽監督、作曲、編曲、指揮なども手がけた。ブロードウェイ、オリジナルを問わず、ミュージカルの代表的な音楽監督としても活躍。
1988年(昭和63年)、肝臓癌のため死去。

<代表作>
『誰もいない海』ほか。音楽監督としては『王様と私』『南太平洋』『屋根の上のバイオリン弾き』『ピーターパン』など。

◆ 黛   敏郎 … 谷原章介
谷原章介
音楽家、作曲家。
越路吹雪のためにエディット・ピアフの楽曲を紹介し、越路の生涯最大の持ち歌となった『愛の讃歌』が生まれた。

◆ 山本紫朗 … 鶴見辰吾
鶴見辰吾
日劇の演出家。
『愛の讃歌』を日本語で歌いたいという越路(天海祐希)のために、岩谷時子(松下由樹)に訳詞を依頼。
岩谷にとってもこの仕事が転機となった。

◆ 阿      部 … 原田泰造
原田泰造
レコード会社のディレクターで越路(天海祐希)の麻雀仲間。

◆ 松岡辰郎 … 田村   亮
田村亮
東宝株式会社社長。
大きくなっていく越路(天海祐希)を見守り続けた。

◆ 藤本真澄 … 風間杜夫
風間杜夫
藤本プロ社長・東宝重役。
越路(天海祐希)と岩谷(松下由樹)の夢を常にサポートした良き理解者。