フジテレビCSワンツーネクスト
視聴方法

F1グランプリの歴史1970〜1980

番組情報

「F1グランプリの歴史」はフォーミュラ・ワンのグランプリ・レースの見どころを編集した番組である。1970年から1980年までのレースの総集編11本より成るシリーズである。

当時はF1グランプリ全レースが世界に向けてテレビ中継れる時代ではなく、F1グランプリはテレビ未公開のシーンが多く残っている。

制作会社、ブルンスウィック・フィルムズ社はフォーミュラ・ワン・グランプリの初期の映像制作をしたパイオニアとして名高い。撮影した膨大なアーカイブフィルムを選択して各シーズンのグランプリの総集編を制作したのがこのシリーズである。主要なレースのハイライトは勿論、伝説のレーサーの人間像、F1メーカーとレーサーの関係、それに忘れることのできない勝利を勝ち取った名車などを垣間見ることができる。

このシリーズはテレビで紹介されていない映像も多く、類似の作品も無く、しかもグランプリ史上貴重な映像が紹介されていることから、世界的にも高く評価されている。
アメリカの著名な国立図書館 Library of Congressでもこのシリーズを所蔵している。

番組情報

OAスケジュール

2010

3/16(火) 25:00〜26:00 #10 ONE TWO NEXT
3/19(金) 18:00〜19:00 #10 ONE TWO NEXT
3/20() 22:00〜23:00 #11 ONE TWO NEXT
3/23(火) 29:00〜30:00 #11 ONE TWO NEXT
3/26(金) 18:00〜19:00 #11 ONE TWO NEXT
4/7(水) 08:00〜08:50 #1 ONE TWO NEXT
09:00〜10:00 #2 ONE TWO NEXT
4/8(木) 08:00〜09:00 #3 ONE TWO NEXT
09:00〜10:00 #4 ONE TWO NEXT
4/9(金) 08:00〜09:00 #5 ONE TWO NEXT
番組情報

放送内容

#

内容

1

FORMULA ONE 1970 王冠を手にしなかったチャンピオン

・1970年は新旧が入れ替わり、GPレースに大きな変化が見られたシーズンである。
・車のテクノロジー開発合戦が展開、ジャッキー・イクスのドライブするブルータル・パワー満載のフェラーリ312B、 ヨッヘン・リントのエアロダイナミック車ロータス72などの戦い。
・ディフェンディング・チャンピオンのジャッキー・スチュワートといえども王者としての安らぎはない。 まさにチャンピオンになるのが誰か予測できないシーズン。
・そんな時、優勢なリントが練習中にモンザで事故死。彼の成績が評価され、スポーツ界で初めて死後に世界チャンピオンのタイトルが授与される。

2

FORMULA ONE 1971 Great Scot!偉大なスコットランド人

・1971年はジャッキー・スチュワートとティレルがグランプリ優勝を狙っている。
・しかしシーズンの初めから強力なV12エンジンを搭載、追い越しを許さぬフェラーリ。そんなメカのパワーに対してスチュワートとティレルはドライビング・スキルで力のバランスを取る。
・シーズンが進むとスチュワートとティレルは画期的なエアロダイナミックスとスチュワートの非凡なドライビングによってチャンピョンシップを獲得。赤い跳ねる馬も馴らされる時が来る。
・アスファルトでスリップする車が増え、タイヤ戦争が激化し、ドライバーの安全がより一層問題視される年でもあった。

3

〜FORMULA ONE 1972 若きフィッティパルディの年〜

・1972年は誰もがディフェンディング・チャンピオンのジャッキー・スチュワートに注目した。
・予想通り、スチュワートは最初のGPで後続を30秒離して堂々優勝。しかしチャンピオンの座を狙う若き風雲ドライバー、エマーソン・フィッティパルディがいた。
・フィッティパルディは黒と金のロータスに乗り、技量を遺憾なく発揮、最後の山場を彼の心の故郷モンザのGPで迎える。そんな時スチュワートの車がクラッチ故障、無念彼はレースから下りる。そして若干25歳の「エモ」が史上最も若い世界チャンピオンとなる

4

〜FORMULA ONE 1973 スチュワートの王座〜

・ロータスのエマーソン・フィッティパルディは今シーズンも世界チャンピオンの座を守ろうとしているが、最大のライバル、ジャッキー・スチュワートがチャンピオン奪回を狙っている。
・フィッティパルディは最初の4レースのうち3レースに勝つが、ティレルのワンダーカーにのったスチュワートの攻勢は強力。 シーズン中盤にはシングルポイントのリードを保ちスチュワートが優勝。
・このシーズン限りでベテランレーサー、スチュワートはF1レースから引退を決意。
・2大ライバルの闘いとは別に、このシーズンには車の安全規制が強化され、車のデザインに大きな影響が見られる。

5

〜FORMULA ONE 1974 最後までもつれたレース〜

・1974年はF1レースに大きな変化が起きた年である。ディフェンディング・チャンピオンであり3回チャンピオンとなったベテラン・ドライバー、あのジャッキー・スチュワートがいない。
・高品質のタイヤを付けたハイパフォーマンスの車に乗ったドライブのため、ドライバーは互いにレースに差がつけられず、シーズンの優勝は全く予測できない。優れたタイヤの信頼性は、ドライバーのスキルのそれと同等のものであった。
・優勝の行方はマクラーレンのフィッティパルディ、フェラーリのクレイ・レガッツォー、ティレルのジョディ・シェクターの三つ巴の争いとなった。
・最後にフィッティパルディが決着をつける。

10

〜FORMULA ONE 1979 Maranello Mastery マラネッロの制覇〜

・1979年シーズンはドライバーのトレードが多い。
ロータスはフェラーリからカルロス・ロイテマンを獲得、マリオ・アンドレッティと組ませる。
フェラーリはジョディ・シェクターを入れる。
ウルフはシェクターの代わりにハントを。
マクラーレンは抜けたハントの代わりにジョン・ワトソンを投入。
・エアロダイナミックな性能を持つタイプ79‘ウィング・カー’の導入でロータスが有利。しかし他のチームもデザインにテクノロジーを導入対抗する。
・シーズンが進むにつれ、ウィリアムズの信頼性は増し、アラン・ジョーンズは最後の6レース中4レースに勝ったが、ポイントが上がらない。
・ジョディ・シェクターはシーズン中3回優勝したのみだが、コンスタントなパフォーマンスが奏功し、合計ポイントでチャンピオンとなる。
コンストラクターズチャンピオンはさすがのマラネッロ製312T4モデルのフェラーリチーム。

11

〜FORMULA ONE 1980 ダブルの初勝利 ウィリアムズとジョーンズ〜

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