東京マラソン取材記者ブログ


東京に刻む生き方【高岡寿成】

2009年3月16日(月)

高岡寿成

高岡選手は、日本一速い選手です。
今でもマラソンの日本記録の他、
トラック種目の3000メートル、1万メートルの日本記録を持っています。

そんな彼の夢はオリンピックのマラソンで金メダルをとることでした。

夢を抱いていたときに生まれた息子には
五輪の5つの輪を表す環伍(かんご)と名づけました。

しかし、マラソンでのオリンピックへの挑戦は、
アテネ、北京と2回挑んで2回とも勝利の女神に
振り向いてもらえずに終わりました。
現在、彼は38歳。
若いときと比べると満足する練習が出来なくなりました。

だから彼は今シーズンで、第一線から退くことを決めました…。

高岡選手が日本の長距離界に与えた影響は、
数え切れないものがあります。
高校では無名の存在だった彼が、
各種目の日本新記録を作るまでに成長したこと。
これは後輩に
「自分も高岡さんのようになれるかもしれない」という勇気を与え、
彼の練習が多くの選手のお手本になりました。
すぐにマラソンを走らず、
トラックでスピードを磨いてからマラソンへつなげること。
高岡がはじめたこの方法は、
マラソンの高速化を迎えた現在、世界に挑む上での
常識のひとつになっています。

切り開いてきた歴史に幕を閉じるときが近づいています。
しかし、高岡選手は普通には終わるつもりはありません。
38歳で優勝し世界に挑んで引退することが目標。
これは日本の長距離選手がやったことがない偉業です。
高岡選手からかつてのスピードが失われていたとしても、
ベテランの彼にしか出来ない戦い方があります。
長年に渡り彼を指導してきた伊藤国光監督は、こう表現しました。
「これが高岡だというものを東京に刻み付けて欲しい」

「オリンピックにでてぇ!」
これは高岡選手の8歳になる息子、環伍(かんご)くんが
北京オリンピックを見ながら言った言葉。
「パパが出ていないのが悔しかったんだそうです」と
高岡選手の妻、直子さんが教えてくれました。

しっかりと受け継がれている思い。
だからこそ環伍(かんご)くんの目に、
強い自分の姿を焼き付けておきたい。
「最後の最後まで、速くて強くてかっこいい」と
息子の胸に刻まれるパパ。

そんな終わり方がきっと、
ランナー高岡の生き方なのだと思います。

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